妊娠20週から切迫流産→24週で切迫早産に。〜入院中はただひたすらウテメリン、マグセントとの闘い。救いは子宮頸管に長さがあったこと。〜




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こんにちは。うめりこ(@rikakoster51)です。

今回は切迫早産の体験記、入院中について。

入院中は自宅安静よりもかなり大変だったので、私の体験がどなたかの参考になればと思っています。

前回の記事はこちら↓

お腹の張りが続いて妊娠20週から切迫流産→24週で切迫早産に。大丈夫かどうかは必ず...
おはようございます。うめりこ(@rikakoster51)です。私は妊娠中に切迫流産から切迫早産になりまして、かなり大変な妊娠期を過ごしたことがあります。発端は、突然の出血...

切迫早産で突然の入院になったその数十分後から、24時間点滴の始まり。

妊娠24週の検診日に突然の入院になり、病室に運ばれてからお医者様の説明を受けた後、すぐにまた看護師さんがやってきました。

手には点滴を持ち、そばには流量を設定する機械の付いた点滴スタンド。

「今からお薬を点滴しますね」

そう言って、てきぱきと準備が進みます。

点滴は「ウテメリン」という、それまで私が飲んでいたお腹の張り止めのお薬と同じものでした。

この点滴は24時間ずっと流しておかなければならない点滴でした。

部屋にはポータブルトイレが設置され、この段階ではトイレまでの数歩は歩くことを許してもらえましたが、お風呂も禁止、部屋を出るのは診察のときのみで車いす移動、起き上がるのは食事の時のみということでした。

この点滴をする前にまず、急な入院なので家族に連絡したいと伝えて、その場でまず私の母と旦那さまに連絡。

それから1時間くらいで2人とも病室まで来てくれて、母は下着類の着替えを買ってきてくれました。

パジャマについては出産のことを考えて準備していたものがあったので、旦那さまが持ってきてくれました。

ウテメリンの点滴は、やはり飲み薬よりも効果が強く、点滴を初めて1時間ちょっとでものすごい吐き気が襲ってきました。

入院が午前中だったため、病院ではすぐに豪華な妊婦食のお昼ご飯を出してくれましたが、私は気持ち悪さで全く食べることができず。。。

この日は夜も食べることができず、お医者様が栄養剤の点滴を追加してくれました。

ものすごい火照り感と吐き気で夜は眠れず、翌日になって少しおさまりました。

私の場合、ウテメリンの副作用は軽かったようです。

しかし、翌日になって行った検査でまだ張りが続いていて点滴の量が増やされ、最大量での点滴になりました。

私が入院した産婦人科では、様子を見て、徐々に下げれるようであればウテメリンの量を減らすという方針です。

そのためにここでまた具合が悪くなり、結局3日くらいは食べ物を見たくもありませんでした。

その他に出たお薬は、便を出す時にいきまなくていいようにするマグミットでした。

入院生活は、意外とせわしない。

入院を決めるときにお腹に巻かれたベルトのようなものは「ノンストレステスト」というものでした。

赤ちゃんの心拍数が出て、お腹の張り具合がグラフになって出てきます。

これを朝6時頃と夜22時頃に行いました。

測定している時間は20分〜30分くらいだったと思います。

これが終わったら今度はお医者様の回診が8時頃にあり、それから朝ご飯。

ご飯を食べたら体を拭く介助の人が来てくれるので、具合がいい日は少し起き上がって体を拭くことができました。

それから1時間くらいで今度は血圧や体温など、体調管理のために看護師さんが来てくれて、12時にはご飯。

ご飯の後は15時頃にまた看護師さんが来てくれて体調管理。

夜18時頃には夜ご飯があって、20時ごろには看護師さんの体調管理、そしてまた22時にはノンストレステスト。。。

数時間おきに何かがあるというのも実は結構ストレスで、慣れるまでに少しかかりました。

安静といいながらも、体が横になっていて動かないだけで、結構せわしないなぁと感じたのを覚えています。

妊娠32週頃からウテメリンだけではなくマグセントという張り止めも追加。

ウテメリンで症状がおさまれば徐々に流量を下げるということでだったものの、結局ウテメリンだけでは収縮が止まらずにもう一種類追加になりました。

このマグセントを追加した日から、尿量も検査の対象になりました。

尿が出たあとは必ずナースコールして量を測ってもらわなければなりません。

副作用が怖い薬でしたし、投与後はまた体が慣れるまで吐き気や熱っぽさが続きました。

ウテメリンを打ち始めた時にもあった指の震えも再発し、もはや自分の状態がよくわからなくなりました。

このときは精神的にも参ってしまい、泣く日もありました。

ただただ、毎日会社帰りに顔を見に来てくれる旦那さまが心の支えでした。

入院中の血液検査が数日に1回。針を刺され続けた私の血管はもはやボロボロだった。

24時間ずっと点滴をしているため、針は4日に1度別の場所に刺し替えをします。

今度は右、今度は左、と繰り返している間に刺される場所の血管は急速に細く硬くなりました。

最後の方は腕に刺すところがなく、手の甲に刺しました。

手の甲の点滴って、ちょっと動いただけでも痛いんですよね。。。

24時間点滴とはまた別に、血液検査も数日に1回行われました。

張り止めの薬の副作用や体調の変化がないかをみるためのものです。

これはずっと左の肘の内側あたりから採血していて、数ミリずれた針の跡がたくさん並んでいました。

ですが一か所だけ、腕に血管を残してありました。

出産時に何かあったときに点滴などを打つための血管です。

私よりももっと大変な状態の妊婦さんは、ウテメリンを首の血管から入れているとどこかのサイトで読んで、私はその人たちに比べればまだ耐えなければと思っていました。

入院中は頻繁に救急車が到着し、夜中でも廊下の外が騒がしくなってものすごく恐怖を感じました。

ナースセンターが近い部屋だったので、看護師さんの「市民病院に連絡して!」とか妊婦さんの叫ぶ声とか、とりあえず怖いとしかいいようがありません。

昨日運ばれていった人は無事だったかなとか、私も急変して運ばれたらどうしようとか、考えるとキリがありません。

そして、考えたときには必ずノンストレステストで微弱な収縮が続き、ハラハラドキドキでした。

自分の中での決意。とにかく37週までウテメリンとマグセントで踏ん張る。その後はどうにかなるさと思うことにする。

妊娠32週になった頃。

今度は私の血圧が上がって、妊娠高血圧になりました。

入院して管理していただいていたので体重は赤ちゃんの成長ぶんしか増えていませんでしたし、全くもって理由がわからない。

それでも入院中だったので食事療法に力を入れてくださり、なんとか毎日を過ごしました。

妊娠高血圧についてはまた後日まとめたいと思います。

この頃からもう、色々と考えることをやめました。

とにかく妊娠37週に入れば、基本的に産んでも赤ちゃんには大丈夫な月齢です。

そこまでは踏ん張る。

ウテメリンとマグセントで続く震えもむくみも、高血圧も、何もかも耐えてみせる。

半年近く寝たきりでもう筋肉も落ちてしまっているし、いざ産む体力がない時は潔くお腹切ってもらおう。

そこまで腹をくくりました。

そして、ただひたすら横になり、ただご飯を食べるだけの生活でしたが無心になることを学びました。

心を揺らせば、子宮が収縮しますし血圧も安定しません。

だから、ひたすら無心。考えない。

今思えば、なんとか持ちこたえられたのは、それが良かったのかもしれません。

たぶん色々と考えてたら不平不満も溜まり、発狂していたと思います。

ただただ、1日が過ぎていくのを待っていました。

37週でウテメリン、マグセントを一気にストップ。すぐに収縮がきて出産・・・!!と思いきや、そう甘くなかった。

37週になって、妊娠高血圧でもありましたし、すぐに産んでしまおうということになりました。

そこで37週0日目。一気に点滴のストップ。

一気に点滴から解放され、自由にベッドの上で体勢を変えられる喜びを、つかの間ですが噛みしめました。

そして、いよいよ出産。

ウテメリン、マグセントで筋肉を弛緩させてお腹の張りを抑えていたわけですから、普通は薬が抜けたらすぐに陣痛が来ると思うじゃないですか!

でも、来ませんでした。。。

そこから結局3日連続での陣痛促進剤、促進剤を打つ前の体の処理や1日数度にわたる触診。

一生懸命に産ませようとしてくださっていた先生には申し訳ないことですが、これは何かの拷問か?と思うような。。。

正直この時は「こんな思いをするぐらいなら、もう二度と妊娠したくないし子どもなんか産まない」と本気で思っていました。

過ぎてしまえば「何様だよ!?」と自分で思ってしまいますが、そのときはもう、精神的に摩耗しすぎて正しい判断ができなくなっていたんですね。

それでもなんとか無事に産ませていただいて、しかも産む時の時間が病院のお昼休みだったので、病院中の先生が見に来て応援してくれて、本当に感謝でした。

出血も少なく、産んで4時間くらいで普通に歩けたので、先生方にも看護師さんにも助産師さんにも、感謝しかありません。

産ませてくれてありがとう。

本当にそう思います。

切迫早産で入院していて、唯一の救いは子宮頸管の長さが最後まで3cm近くあったこと。

37週に入るまで結局ウテメリンとマグセントの投与が続きましたが、このときまで子宮頸管の長さがある程度あって、子宮口は閉じていたのが唯一の救い。

これも、早い時期から自宅安静を指示してくれたお医者様と私の体調に気づいてくれた看護師さんのおかげだったと思います。

これが短いと縛る手術をしたり、最悪開いて破水してしまったら、未熟児の出産になってしまいます。

そうならないように最善の方法で管理してくださった病院の皆さんに、本当に感謝しています。

入院生活もウテメリンも、そしてマグセントも、正直もう二度と体験したくないレベルの苦痛です。

それでもやはり、1人の命を皆で守って、無事に産ませてくれるのは現代の医学ならではだと感じたのも事実です。

辛い入院生活でしたが、切迫早産には他の病気と違って「終わり」があります。

どんなに長くても、妊娠37週より長いことはありません。

そのときは本当に辛いですが、元気な赤ちゃんに会えるまでの辛抱。

先のことは考えずに、ただひたすら1日1日を穏やかに過ごす。

切迫早産の入院を体験してみて、そういう心構えが一番必要かなと思いました。





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